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1663年8月
ロシアのロボジエロ村ビエロジエロ地区の教会に集まった大勢の信者が、大きな火の玉が雲のない上空から降りてくるのを見た。
1908年6月30日
ツングースカ爆発
1923年7月
汽船でヴィヤトカ川を航行していたM.ヴォロスニコフは夜明け頃、空飛ぶ月に似た物体を見る。
1927年夏のある日、午後早い時間
ソフロヴィエヴカで技術者のI. V. スルコフは北の空に白い、ミルク色の円盤を見た。
1933年(あるいは1934年)8月
クラニエ・チェタイで子供たちが東西に飛ぶ星を見た。しかし星は北西に向きを変えて飛んだ。
1935年9月の夕方
モスクワのペトロスキー門近くでA.イグナティエヴァが、輝く球体が北から南に水平に、静かに早く低空を飛ぶのを見た。
1938年夏の早朝
マラコフカ石油ステーションでN. A.ゴステヴァ楕円形をしてツェッペリン飛行船よりも大きな、灰色っぽい白い雲が自分に向かってくるのを見た。物体は笛のような特別な音を出していた。
1943年9月
オスカー・レイ・ブレアらスペイン志願兵のディヴィジョン・アズールの4人がレニングラード州プーシキンで塹壕の中からドイツ軍とソ連軍の空中戦を見ていると、両国戦闘機の上空に円盤型物体が出現、しばらくして猛スピードで飛び去った。
1946年5月
着陸も含む多くの目撃事例が報告された。
1946年
アレクサンデル・カザンツェフがツングースカ爆発に宇宙船説を唱える。
1947~1956年
第一次暗黒時代。UFO研究は抑圧されていた。
1948年6月16日
テスト・パイロットのイワノヴィッチ・アプラクシンがバスクンチャク地方のカプスチン・ヤールでキュウリのような飛行物体を目撃。アプラクシンは1949年5月6日にも同様の物体を目撃した。
1949年7月
ソ連北西部でUFO目撃が集中発生。
1949年9月の夜
スズダル北約15マイルに住む人物が集団農場で仲間と一緒に自動車のヘッドライトのようなものが村上空に浮いているのを見た。
1953年春
モスクワ上空にUFOが出現してエンゼルヘアを降らせた。
1953年11月下旬
モスクワで円筒形のUFOが200~300mの高度を北西に飛んでいくのを赤の広場の人々が目撃。
1955年2月中旬
モスクワ上空を飛ぶ葉巻型物体を市民が目撃。
1956年
ユーリ・フォーミンがUFO研究を開始
1956年
ワレンティン・アクラートフがグリーンランド近くでUFO目撃。
1957年
ノヴァヤ・ゼムティヤで2人が消滅し、物体が離陸するのが目撃された
1957年8月
ロシア連邦南西部の人造湖チムリャンスクのほとりでモスクワ大気物理学研究所の調査団が円盤型の飛行物体を目撃。
1958年5月30日
カザフでUFO目撃。
1958年6月4日
ウズベク共和国カラカルパク自治共和国で円盤型飛行物体目撃。
1958年11月の夕暮れ時
オティヤスキーの森でボリス・クミロフが高々度を西から東に飛ぶ物体を見た。天頂に近づくと円盤は急速に反対方向に動き始めた。クミロフは続く数日同じものを見た。
1959~1960年
フォーミン、マカロフ、グリソフらがUFOについて講演を行う。
1959年1月午前7時
トブリスクでV. A.ゴレンコフが明るく瞬く緑っぽい星が光線を発しているのを見た。それは明るい霧に包まれ月よりは大きくない球体の雲を形成した。それは一定したスピードと方向で動き、おなじように行動する小さな星を発出した。
1959年春
スベルドロフスクの戦術ミサイル司令部基地上空にUFO出現。
1959年4月25日午前6時
カリーニン近くのサリザロヴォ駅で狩をしていた航空技術者アレクサンデル・カダチェフとその父親は、水平と垂直の寸法比が3:1の楕円形の物体を見た。暗く不透明であったが黒ではなく、下の端は紫だが、昇る太陽の反射にも見えた。直径はほぼ月くらいだった。
1959年8月
スペースモンスターの焼死体発見。
1960年7月6日
日没後90分にテリで月のような明るい円盤が西方に目撃された。目撃者はモスクワの応用地球物理学研究所のA. D.ダニロフなど8人。
1960年7月8日
7月6日と同じ8人テリ西方27マイルのカムチュク川で明るい円盤を見た。
1960年夏、午後5時
ゴルボフという科学者を含む大勢がモスクワで長方形の黄色い物体が風のないダークブルーの空に浮かんでいるのを見た。
1960年8月
レニングラード大学地質鉱物学教授らがカザフ共和国でUFO目撃。
1960年8月半ばの午後10時
クンビシェフの公園でV. N.ゴヴォロナが、ゆっくり空を横切る円盤を見た。大きさは月より小さく見えた。
1960年8月16日午後11時
コクタル北11マイルのバラクヅィル川のキャンプ場で地理学者のグループが東斜面の山の上を北から南に飛ぶ発光物体を見た。直径は月の1.2倍から1.5倍で、一旦峰の後ろに隠れて現れ、消えた。色は白で非常に明るく、垂直方向に少し長い円形で後方噴射はなかった。
1960年10月午後11時
ビヤル川のベルク・ビスクで技師Y. M.ノヴィコフと15人のグループが晴れた空に黒い雲を一つ見た。雲は弱い赤っぽい光で輝き、次第に光線が発した。それは雲から離れた硬い物体から発し、光線で輝いた。
1961年
ロシア中央平原飛行中の小型郵便機消滅事件発生。
1961年
イルクーツク近郊にロケット型のUFOが4本の脚を出して着陸し中から2人の異星人が現れた。
1961年1月8日
『プラウダ』にUFOに否定的な記事掲載。以後1966年まで第二次暗黒時代となり、フォーミンも活動停止を強いられる。
1961年4月27日
オネガ湖事件
1961年春
リビンスク近郊の丘にあるミサイル基地に巨大なUFO出現。
1961年夏
ボロネジ上空にUFO目撃
1962年
メンゼルの著書、ソ連国内で翻訳出版
1962年9月24日
中央アジアから飛び立ったTu104機がUFO目撃。
1962年10月26日午後11時40分
ツーラで芸術家Y.クリフトソフと仲間たちがコンサートからの帰途、突然高度約3,000フィートで北を飛ぶ8~10の物体を見た。
1964年3月午後11時
ペトロパヴロフスク上空で空軍予備役S. N. ポポフは3人の仲間と2つの奇妙な円盤が重なるように、続いて編隊を組みなおして一対で飛ぶのを見た。物体は目撃者の上空を通過するとき強い青紫の光を発し、光に照らされると全員気分が落ち込んだ。
1964年7月12日
レニングラード発モスクワ行定期便の乗客がUFO目撃。
1964年11月30日午後3時
アゼルバイジャンのU. T.シャマキンスキー天文台で天文学者M. ガシエフとK.グーセフが西から北へ1分約1度で動く物体を見た。先端は月の倍で、内部が鋭く外側がゆるい輪のようで、中央に星のような物体があり、それは望遠鏡で見ても点のようだった。
1965年7月26日
オグレ天文台の3人の天文学者が星のような光体が動いていくのを目撃。
1965年夏
アブハーズ自治共和国スフミ近郊で天文学者がUFO目撃。
1965年8月12日午後2時
ラトビアのリーパヤでグライダーのパイロットV. Y.レヤ他数人のパイロットが月の半分くらいで明るい白のゆがんだ球体を目撃。
1966~1967
ウラジミール・アジャジャによればソ連最初のウェイヴ
1966年2月あるいは3月の午前8時
地理学者I. N.アルマゾフと仲間たちはサランプール北東12マイルで、頭上に2つの発光物体を見た。最初のものは丸くて明るく、黄白色をしていた。2番目は月に似ていたが半分ほどの大きさだった。
1966年4月4日夜
レーダー操作員がオデッサ上空15万フィートを時速約500マイルで動く光点を発見。
1966年6月16日午後9時45分
エリスタでヴォルゴグラード石油ガス研究所の科学者グループが人工衛星より少し大きく、赤っぽい色で北東から南西へ動く物体を見た。
1966年7月末
ヴォロネジ近くで深夜、ニキフォロフ夫妻は、脈動する赤い円盤が低い高度で比較的低速で動くのを見た。
1966年夏、午前9時
ユチュカのクベク川でN. Y. マルソフが水浴中、人々が空の光る球に注意を促した。球体が近づくと雲が消えた。
1966年7月18日午前3時
レチュポートでベレゾフスカヤ展中央実験室分光器技師のリディア・ポヴロヴナとブルドーザー運転手F. A.チェスノコフが空にオレンジ色の円盤を見た。奇妙な雲がいくつか随伴していた。
1966年8月
モスクワで国際数学会議が開催され、ジャック・ヴァレが参加。
1966年
ゾロトフのツングースカ研究
1966年10月20日午後3時
ケルソンで大勢の人々が丸い円盤を見た。直径は月の3分の2くらい、やわらかい銀色で真珠かビーズのようであったが、ラジゾンデや気球のようではなかった。
1967年5月11日午後9時10分
シェレメチェヴォ飛行場近くで犬を散歩させていたM. A.セラヴニヤと父親はがらがらいう音を聞いた。音は笛のような音に変わり、さらに雷のような音になったが、それは見えない何かが頭上を通り過ぎたようだった。
1967年5月17日午前2時30分
ウストカメノゴルスクでT. N.カンショフという技師が、月の倍ほどの明るい物体が空を横切って南から北へ動くのを2分以上目撃した。最初は炎のようで明るく、腕時計を見ることができ、物体の両側には本体の3倍に広がる炎の矢のようなものがあった。
1967年5月17日午後10時
カミシンでY. B.ポポフ少佐、A. S.ニキテンコフ少尉らは、光の滝のようなものが北東の空から夜空を横切るのを見た。光は非常に巨大な葉巻型物体の上にあり、船が空を飛んでいるような印象を受けた。
1967年5月17日午後10時5分
バクルシェフで数人が西の空に降下する明るい点を見た。物体は約1マイルまで降下すると水平コースを辿った。このとき物体は暗く見え、尾部にはっきりした明かりがあった。
1967年6月初旬午後11時
コペル川の岸を散歩していたM.ガヴロリウク夫妻は半月のような形の輝く物体を見た。物体は西から南へ動き、月の上を過ぎ、消えるまで加速しぼんやりした航跡を残した。
1967年7月4日午後9時15分
シャクティのドン川近くにいた教員Y. クラスンツェフと息子は、人工衛星のような2つの光点に気づいた。それらは音もなく南東に動いた。物体の1つからオレンジのスパークがシャワーとなり、月の形になって飛び続けた。
1967年7月8日午後11時
ヴォルゴグラードでボリス・ディケデエフ博士と仲間たちが外で話していると半月型のオレンジの物体を見た。それは西から東へ動き、前方で現れて尾部で消える航跡を残した。
1967年7月8日午後9時30分
ロムニーでS. V.ザズリヤ夫妻が北から南に飛ぶ物体を見た。それは雲のように見えたが非常に速く動き、空の羊雲の上を飛んだ。
1967年7月10日午後11時
クルゴイエでA. A.ポドゴルニは半月型の物体が南から北へ飛ぶのを見た。3日後彼は同じ物体を見た。
1967年7月16日午後9時
クデプストでV. N.チェルニフスキー夫妻は他の2名と海岸近くで黄色っぽいばら色の円盤型物体が海の方角から西から東へ飛ぶのを見た。
1967年7月17日午後11時
スクミで編集者のL. V.アントノーヴァ、クルチャコフ科学研究所研究員T. I.ダンツェヴァは他の4人と一緒に奇妙な物体を見た。物体は平らな円盤のように見え縁が輝いており、350フィートほどの高度をプロペラ機ほどの速度で飛んだ。
1967年7月18日午後2時47分
アムヴロシエヴカで学生のY.ディヴァクと友人1人が釣りをしていて水面に奇妙な飛行物体が写るのを見た。見上げると、空に光沢のない飛行機のようなものが見えた。
1967年7月31日午後9時15分
カヴカズキーのプリヴィルニー農場で農夫のI.コソフとその妻が暗赤色の円盤が南西から北東へ飛ぶのを見た。
1967年8月2日午後11時30分
ノルウェー海を航行中であったソ連艦イゼフスクのマルコフ船長、シソイエフ航海士などが南に向かう白い球体を見た。数分後明るい点がもう1つ空の高いところに見え、大きさを増し、黄色の強い明るい光を放った。この現象は何度か繰り返された。
1967年8月5日午後8時50分
ペルムでY. G. ソロヴイエフ夫妻と子供が空を横切る環状の物体を見た。
1967年8月8日午後8時40分
キスロヴォドスクで科学アカデミー天文観測所上空を左右対称の三日月形物体が飛びすぎた。物体は月より少し小さく、20分ほどの弧状で、目撃者のある者は赤っぽい、他の者は黄色とした。
1967年8月9日頃午後3時
ベリエ・クリニツィで湖岸にいたリトキニ夫妻が高速で動く楕円形の物体を見た。物体はミルク色で、小さな黒い棒が何本か表面に無作為に配置されていた。数分後2番目の物体が現れた。
1967年8月24日
『Trud』にカザンツェフとヴァレ共同の記事掲載
1967年8月30日午後8時50分
ドネプロツェルジンスクで、丸い明るい均一に輝く黄色い円盤が空に大きな弧を描いて飛び、北北西に消えた。
1967年9月2日午後11時35分
ペチョラで物理学者ミハイル・F.ゼレビンら4人が空の北北西に靄を見た。それは突然、空にあった満月くらいの大きさのはっきりした黄色い円盤に変化し、黄色い閃光とともにオレンジ色に変わった。
1967年9月4日午後9時17分
イェヴパトリヤN. N.プローニン夫妻は、白い三日月型物体が北東から南西へまっすぐ飛ぶのを見た。
1967年9月9日午後8時20分
ドネツクで凹型の飛行物体が目撃された。色は溶けた金属のようで明るい星が随伴していた。
1967年9月19日午後7時40分
ベルゴグラドスカヤでA.セルデュコフが明るい半月型の物体が上昇するのを見た。それは急速に下降し、円錐形の航跡を残した。
1967年9月29日
ウクライナ上空でUFO目撃。
1967年10月初旬
スクミで技術者V. N. チェチヤノフらが青空に奇妙な物体を見た。物体はしばらく滞空し、岸に沿って飛行し、上昇し消えた。双眼鏡で観測したところ、物体は三角形で胴体も尾部もなく、アルミニウム色であった。
1967年10月18日
ストリャーロフ委員会結成
1967年10月18日午後9時
ズブガで物理学者などが、球体が海から東へ動くのを見た。
1967年10月18日午後6時
ピヤティゴルスクで天文学者Z.カディコフが北西方向に明るい物体を見た。物体は三日月形で黄色、青白い尾を持ち、秒速1.5度で動いた。他にも目撃者がいた。
1967年10月25日午後4時5分
オトラドノイ・スタニスタで地理の学生N.サラソフが義母とともに、球体の物体2個が北西から南東へ飛ぶのを見た。大きいほうは黄色っぽくぼんやりして小さいほうは金属的に見えた。
1967年11月6日、夜
カザンでマスグトフ夫妻が土星のような形の物体を見た。物体は輝く赤っぽい球体で同じ色の平らな輪を持ち、滞空して回転していたが、次第に速度を上げて消えた。
1967年11月9日
チェリヤビン近くのミアスでI. Sルニヤコフが白い葉巻型物体で一端に黒いダッシュのある物体が空を動いているのを見た。
1967年11月14日
リエパヤで半球形の大きな輝く物体が低空に浮かんでいた。物体は激しい、目に痛みを与える光を発して飛び去った。
1967年11月15日午前4時30分
サスナヴァでV.トレイチスは北東の地平線上に丸い物体を見た。直径300メートルほどで非常に明るく、舌のような炎が見えた。
1967年11月25日
ミハイロヴカで深夜ラジオを聞いていたV.ロゴフは、外の明るい緑の光に気づいた。見ると丸く平で縁の明るい物体が非常な速さで空を飛んでいた。流星のように消えたが、物体は同じ軌道に再び現れた。
1967年12月3日
カメニー岬事件
1968年2月
フェリックス・ジーゲル、UFO関連書を出版
1968年2月27日
『プラウダ』に否定的記事掲載。以後1988年まで第三次暗黒時代
1968年6月21日
スベルドロフスク州ネビヤンスクで技術者ミハイロフが奇妙なUFOを目撃。
1968年8月20日
ソチ近郊でスベルドロフスク基地のパイロットたちがUFO目撃。
1968年9月19日
ツェハノヴィッチ事件
1969年
ペルシコボ村事件。
1969年7月31日
クプリヤノフ事件
1970年4月
中ソ国境で未確認飛行物体目撃。
1970年8月
ベルジャンスク事件。
1970年9月20日
ペトロザヴォドフスク事件
1972年春
ゴールドバーグ事件。
1972年5月
ボルゴグラード事件。
1973年4月10日
アクラートフのUFO目撃
1973年7月5日
クリンカ川事件
1974年8月
UFOがモスクワ上空を飛行し、すべてのテレビ放送が12分停止した。
1974年11月3日
ドニエプロペトロフスク事件。
1974年12月
タンボフ事件
1975年7月21日
マリチェフ事件
1976年2月中旬
レニングラード事件
1976年6月16日
ポドリスク事件
1976年9月4日及び10月18日
カザンの天文台などで三日月形の飛行物体目撃。
1976年10月
ウラジーミル・ウォロビヨフ号事件
1976年12月27日
カルガ事件
1977~1979年
アジャジャによれば2回目のウェイヴ
1977年8月19日
セルプホフ事件
1977年9月6日
イングリ川事件
1977年9月20日
ペトロザヴォドスク事件
1977年10月7日
ヴォルガという潜水艦修理船の上空を円盤9機が18分間旋回した。その間無線と電気機器が制御不能となった。
1978年5月
マリショフ事件(『UFO百科事典』)
1978年7月
プルコヴォ天文台長ウラディミール・アレクセイエヴィッチ・クラトは、UFOは充分調査されていない自然現象と人工物と発言。
1978年
直径15フィートの赤い球形の物体が飛行機と衝突する事件が起きたとの噂がある。
1978年8月28日
マナンコフ博士の目撃事件
1979年1月
『Nedelya』誌でウラディミール・ミグリンとプラトフとが、UFOは自然現象と答えている。
1979年4月23日
マルガリヤン事件
1979年6月
カザフスタンのツルゲイで軍人がUFOを目撃した。またでキャンプしていた子供たちが何人かm5~8体の黒っぽい生物に追いかけられた。生物は非常に背が高く、一緒にいた教師は8フィートほどとした。また生物は親指のない三本指をしていた。
1979年9月2日
イストラ事件
1979年11月16日
イズマイリ公園事件
1980年初頭
ケステンガ事件
1980年6月14日
モスクワ上空でのUFO目撃事件
1981年5月15日
モスクワ上空でのUFO目撃事件
1981年8月23日
モスクワ上空でのUFO目撃事件
1982年8月
クラスノヤルスク事件
1983年3月2日
エストニア事件
1983年5月31日
イニューシン博士の目撃事件
1983年7月14日
ソスノフスカ村事件
1983年8月26日
ラトビアのベンツピルス上空でミグ戦闘機がUFOに撃墜される事件発生。
1984年7月
ゴーリキー事件
1984年9月7日午前4時10分
ミンスクで軍のパイロット2名が物体を目撃、物体は光線を照射し、1人死亡、他は地面に不時着したが光線の生理的影響を受けた。
1984年末
ミンスク事件
1985年2月
ペトロザボツク事件
1985年9月
ニダ事件
1986年1月29日
ダリネゴルスク事件
1986年
ウルヤノフスク事件
1986年10月末
バチューリン事件
1987年4月
カザフ共和国上空を飛行中の英国航空ジャンボ機が巨大UFOと遭遇
1988年
メドベージェフ事件
1988年3月
ウクライナ事件
1988年7月15日
アジャジャらは宇宙飛行士パヴェル・ポポヴィッチを会長に全国的なUFO研究委員会を結成。
1989年
アジャジャによれば3回目のウェイヴで、今回は軍も注目した
1989年
ウリヤノフスク事件
1989年
ペルミでムホルトフ記者がてんびん座から来た異星人とコンタクト。
1989年
ヴォログダで直径16フィートの球体が目撃されたが、それらは女性の顔のようにも見えた。
1989年
ヴォログダバスローブで歩いていた女性が何かに引かれたように着陸したUFOに近づき、物体と一緒に消えた。
1989年
アブダクションが頻繁に起きた。
1989年2月6日
ペルミ事件
1989年2月13日
イェレニン近くでパイロットが、大きくて暗い青色をして窓のある飛行船のようなものを見た。
1989年4月24日午後11時頃
ハロフスクでゴルバツカヤ夫人らが空中に炎が出現し火花を散らすのを見る。かなり上空には細長い四角形をした銀色の物体が北の方角に飛んでいき、また引き返してきた。
1989年6月6日午後2時30分
コナンツェボ村で小学生数人が上空に明るい斑点のようなものを見た。物体は草原の斜面に着陸し、中から背の高い異星人が現れた。
1989年7月4日
キエフでのアブダクション事件
1989年7月25日
マルイシェフ事件
1989年9月16日
ニコライエフ事件
1989年9月16日
モスクワで科学技術の非伝統的方向について教えるバージス校のUFO学部開校。
1989年10月5日
キロフで100~120機のUFOが目撃された。円筒形が多く、物体の附属物が出現したように見えたり、飛行中形が変わることもあった。
1989年10月11日
ナルチク事件
1990年1月12日
ノボスチ通信がUFO円卓会議を開催。ジャック・ヴァレも参加
1990年3月21日
セメンチェンコ事件
参考:Jacques Vallee『UFO Clonicles of the Soviet Union』Ballantine Book
中村省三『赤い国のエイリアン』グリーン・アロー出版
ジョン・スペンサー『UFO百科事典』原書房
在日ソ連大使館広報部編『今日のソ連邦』1989年11月1日号、1990年5月号