マージャリー・クランドン(Margery Crandon)、1888~1941。本名マイナ・クランドン。ボストンの霊媒。アメリカの霊媒としてはかなり有名で、アーサー・コナン・ドイル(1859~1930)やエリック・ディングウォール(1890~1986)、ジョセフ・バンクス・ライン (1895~1980)など多くの研究家も彼女の交霊会に出席、調査を行った。 カナダに生まれ、10代でボストンに移住。1918年に人望のある外科医ル・ロイ・G・クランドンと再婚した。 心霊現象に最初に関心を持ったのは夫の方が先で、クランドン医師が1923年に友人を集めてテーブル・ティッピングの実験を行った際、妻のマイナに霊媒の才能があることを発見、以後夫妻は、自宅で交霊会を開催するようになった。 交霊会は、他の多くの霊媒の場合と同様暗闇の中で行われた。クランドンは両隣の人間に手を握られていたが、ラップ音が聞こえたり、暗闇に光が煌めいたり、メガホンが飛び回ったり、テーブルが動く、マイナの死んだ兄ウォルター・スティンソンの声がどこからともなく聞こえる、部屋に置いたブザーが誰も触れないのに鳴るなどの現象が発生、 1924年になるとエクトプラズムも現れるようになった。 クランドン医師は妻の能力を真正と信じ、シャルル・リシェ(1890~1986)、ギュスターヴ・ジュレ(1868 ~1924)、コナン・ドイルなどヨーロッパの研究家の前でも実演を行った。 『サイエンティフィック・アメリカン』誌の編集者J. マルコム・バードもその心霊現象に魅了され、彼の記事の中でマイナのことを「マージャリー」という偽名で紹介したことから、マイナ・クランドンは以後マージャリー・クランドンとして知られるようになる。 当時『サイエンティフィック・アメリカン』誌は、その指定する条件の下で明らかな心霊現象を見せた者に2500ドルの賞金を申し出ており、1924年7月23日、ウィリアム・マクドゥーガル(1871 ~1938)、ハリー・フーディーニ(1874~1926)、ウォルター・フランクリン・プリンス(1863-1934)、ダニエル・フロスト・コムストック(1883~1970)、ヒアワード・キャリントン(1880~1958) の5人からなる調査委員会を送った。その際、キャリントンはクランドンの心霊現象を真正と主張したが、フーディーニは彼女がトリックを用いたと主張した。 フーディーニによれば、彼の前の床に置かれたブザーのスイッチに彼女が足で触れるのが感じられ、またメガホンが自分の方向に飛んできたのは、彼女が一時片手を振りほどいてメガホンを頭に被り、頭を振って飛ばしたのだという。 結局賞金は支払われず、フーディーニはその後もクランドンのことをトリック呼ばわりし続けたが、彼女の霊媒としての名声はその後も衰えなかった。 しかし、ジョセフ・バンクス・ラインは、彼女が交霊会でトリックを用いてることを確認し、ハーバード大学の委員会は、クランドンはいんちきと宣言した。その調査員の一人は、彼女が自分の性器から手のようなものなどを取り出すのを見たとする。 さらに1928年12月、ウォルターはワックスに自分の指紋を残したが、ボストン心霊研究協会のE.E.ダドリーは、それがクランドンのかかりつけの歯科医コールドウェルのものであることを発見した。 1939年に夫が死ぬと、マージャリー・クランドンは鬱状態となって酒に溺れ、急速に太るようになった。しかし、ほとんど毎日酩酊状態にありながら交霊会は続け、1941年肝硬変で死亡した。
評価:19世紀末から20世紀初頭にかけて、欧米では数多くの「霊媒」が現れ、死者のメッセージを取り次ぐだけでなく、アポート(物品出現)や物体の浮揚、エクトプラズムの体内からの流出や霊の物質化など、いわゆる物理的心霊現象に分類される華々しい現象をいくつも見せた。しかしこれらの現象はいずれも、何らかのトリックを用いたものとされている。一方、超心理学者の中には、彼らが霊から得たというメッセージの中には、本人しか知り得ないものもあるとして、記録に残るESPの一環としてとらえようとする者もある。 現在まで残る記録から判断すると、マージャリー・クランドンも、こうしたトリックによりいろいろな現象を起こしたように見せたものであろう。 霊媒がこうした現象を演出する背景には、職業霊媒の場合金銭的理由が大きいだろうが、他にも功名心などさまざまな要素があるだろう。一部には、霊媒の中に女性が圧倒的に多かったことから、 19世紀の抑圧された風潮に対する女性の不満のはけ口となったと推定する向きもある。 こうした内面的な理由は、本人がとうの昔に死去している現状では、記録から確認される限りの本人の人生から推定するしかない。 マージャリー・クランドンの夫は20以上も年上だったが、彼女は前夫と離婚し、子供まで引き連れての再婚だったという。そして彼女を霊媒にしたのは、夫の心霊現象への関心だった。 彼女にとってこの結婚生活は、なんとしても守りたいものであったのではないだろうか。もっとも、彼女もこの霊媒ごっこをけっこう楽しんでいたふしもあるようだ。 彼女がけっこう魅力的な女性で、社会的な地位もある医師の妻であったことが、彼女への疑いを軽減し、その分トリックを使いやすい方向に作用したことも確かだろう。夫である医師が彼女の共犯であったと断定するには材料が乏しいが、少なくとも強く擁護していたことはまず確かだろう。 守りたいものを失った時、彼女は崩壊し始めた。結局、歴史上の有名人を何人も巻き込んだ霊媒事件は、一人の女性のささやかな、そしてある意味当然の願望から始まったようだ。
【参考】
ステイシー・ホーン『超常現象を科学にした男』紀伊国屋書店
ジョン・ベロフ『超心理学史』日本教文社
Hystory net