ラオスのナーガ

ラオスのナーガ(Naga in Laos)。「ナーガ」とは、本来インド神話に起源を持つ大蛇あるいは蛇神のことであるが、今ではインドだけでなくラオスやタイ、インドネシアなど東南アジア諸国一帯で、ヘビのような巨大生物のことをこう呼んでいる。
 当時コロンビアレコードの社員としてサイゴンに赴任していた奥野椰子夫は、昭和18(1943) 年5月、レコードの材料ラックを求めてラオスに入ったところ、メコン川流域のドンチャン部落でボア沼に地元民が「ナーガ」と呼ぶ巨大な生物が住んでいると聞いた。そこで草葉という友人や現地人の案内人とともにボア沼を訪れたところ、夕暮れ近くになって実際に巨大な生物を目撃したという。
 『週刊現代』1964年1月1日号に奥野が寄稿した「われ竜を見たり」という目撃談は、以下のように述べる。

「それは爬虫類でもなければ四足獣でもない。・・・鋭利に分かれた一メートル近い二本の角を振り立て、狼のような避けた口を持ち、首から下は青光りを放つ黒褐色とでもいおうか、ヌメヌメした水で濡れたような鱗があり、断じて毛に覆われていない。しかも一メートルほどの肢のようなものが、木に鋭い爪をかけ伸び上って来た。そして、そこから沼があるために木の掛りがないので、後体を大木にすがらせ前身を中空に、右、左と泳がせている。胴まわりは一メートル、腹部あたりは三メートルはあろうか。」「やがてその異体は、首を垂らして土に着くや、沼をめがけて滑り出した。滝のように胴から後尾へと地面に流れ落ちる。ザーッという摩擦音が連続する。爛々としてた鋭い眼が、二、三度私たちを振り向いた。尾は次第に細目になり、プツンと切れている。芦の生えた汀があれで三メートルはある。その動物がガバガバと頭部を水に浸したとき、まだ後尾は後方の林に残っていたことから考えて、優に八メートルはあろうと推定したわけだ。・・・異体は天を指した二本の角と頭の一部を水面に見せて、太い長い全身を水中に真直に流し、彼方へ向かって泳いでいった。・・・白い波頭を立て、二本の角だけが次第に遠ざかる。それが微かに右へ向きを変えると、水面の角が短くなり、スーッと水中に姿を消した。」

【評価】
 この怪獣目撃について記した奥野椰子夫(本名保夫)は、「都新聞」記者を経てコロンビアレコードの作詞家に転じ、戦後の昭和22年の大ヒット曲「夜のプラットホーム」の作詞も手がけている。奥野が寄稿した「われ竜を見たり」の記述を信じる限り、「ナーガ」の姿は既知のいかなる生物とも異なっている。さらにボア沼は周囲400メートルほどの小さな沼であり、全長8メートルもある巨大生物が生存し続けることができるかどうかは疑問である。
 そうなるとまず考えられるのが、何らかの他の動物の誤認である。この記事には動物学者の小原秀雄が解説を寄せており、シャムワニやアミメニシキヘビのような巨大な爬虫類がシカを丸呑みした際、その角が口から出ていれば角が生えているように見えるなどとしている。
 また1964年は辰年であるから、うがった見方をすれば、『週刊現代』編集部から「辰年にちなんでなにか景気の良い話を」と持ちかけられた奥野がこのような目撃談を作り上げたと邪推できなくもない。そう考えると、一緒に「ナーガ」を目撃し、昭和19年に戦死したという「草葉」という友人の名も、少しできすぎているようにも思えてくる。
 ただし、奥野の人物像、つまり、業界人としてこの程度の悪乗りをするような人間かどうか、どれほどの観察力を持った人物かについては充分な情報がなく、本人も故人となっているので、フィクションや見間違いと断定してしまうことも、故人に対する礼を失することになるだろう。少なくとも奥野本人が、未確認動物その他の超常現象関係で他の記事を書いていることは確認されていない。
 一方で、人間は時に実在し得ないものを見ることがある。奥野本人が自分では何か異常なものを見たと信じており、それを記憶のままに書き記可能性も否定できないだろう。もっとも、奥野の記事を信じる限り、現地の住民は何度もボア沼の「ナーガ」を目撃しているようだ。

【参考】
『週刊現代』1964年1月1日号
『ポピュラー音楽人名事典』日外アソシエーツ
古茂田信男編『新版日本流行歌史(中)』社会思想社

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