【本文】
カタカムナ文明(Katakamuna civilizations)。10万年前から数万年前まで、日本列島に住んでいた人類(カタカムナ人)が伝えていたという独自の文明のこと。カタカムナ人は、現在の天皇家の祖先にあたる天孫族に滅ぼされたが、この文明は相似象と呼ばれる独特の原理に基づいた農耕や独自の製鉄技術を持ち、元素転換や相対性理論の理解まで含んでいたという。
カタカムナでは土地に植えられた農作物の成長や住む人の健康に良い影響を与える「イヤシロチ」とその正反対の作用を持つ「ケガレチ」なるものが想定されており、カタカムナの科学技術を用いれば、こうした「ケガレチ」を「イヤシロチ」に変えたり、さらには核兵器を無力化する反電磁場や、人間と同じものを食べて動くロボット、あらゆる廃棄物を元素還元して再利用するゴミ諸施設、苦痛を与えずに無尽蔵の肉がとれる植物化した家畜なども作れるとも主張される。
このカタカムナ文明の存在とその内容については、そのすべてが電気物理学者楢崎皐月(1899~1974)に帰せられる。
楢崎は戦前、人造石油の研究とその事業化に携わっていた発明家で、東条英機に才能を見込まれて、第二次世界大戦中満州吉林の陸軍製鉄技術試験長にも就任していた人物である。楢崎によれば、昭和24(1949)年初頭、大地電気の測定を行うため兵庫県六甲山系金鳥山にこもっていたとき、俗称狐塚と呼ばれる芦屋道満の墓あたりで、平十字(ひらとうじ)と名乗る謎の老人の訪問を受けた。楢崎は平十字から、その昔、カタカムナの神を祭っていた神官アシアトウアンが天孫族との戦いに敗れ、九州の地で死んで以来、平十字の家では代々、カタカムナ神社のご神体である巻物を密かに守ってきたという話を聞いたという。その巻物には円と十字を基本とする見たこともない文字(カミツ文字、八鏡文字などと呼ばれる)が記されていた。
この平十字の話に楢崎は、かつて満州で陸軍製鉄技術試験長をしていた当時、試験所近くにあった道教寺院の蘆有三(らうさん)という道士から、太古の日本にアシア族という高度な文明を持つ民族がいたことを聞いたことを思いだした。そこで楢崎は、平十字の許しを得て、巻物の内容をノートに写した。その後楢崎は苦心の末、その内容を解読、それが超古代文明における科学技術の成果を歌の形で解説したものであることをつきとめたという。他方楢崎によれば、内容の解読後あらためて平十字に会うべく六甲山系を探したが、見つかったのは狐の足跡ばかりで二度と会うことはできなかったとも述べる。
巻物の解読語楢崎は、カタカムナの原理に基づいてケガレチをイヤシロチに変えるという植物波農法(農薬・化学肥料を使わず安定した収量を得られる農業技術)や人体波健康法(人体固有の波動を調整することによる医療技術)の普及に携わった。
楢崎死後その研究は、弟子にあたる宇野多美恵(1917~2006)率いる相似象学会に継承されたが、宇野多美恵の死亡により、相事象学会は活動を停止した。
【評価】
カタカムナ文明の存在とその内容については、楢崎個人が伝えるもの以外の資料はない。さらに、楢崎が伝える内容を裏付ける事実も、科学的に未確認である。 日本列島では、今から3万6000年より以前に人類が居住していた痕跡確認されていない。当然ながら10万年前に栄えた文明の痕跡は見つかっていない。2000年には、70万年前の石器が見つかったと報道されたことがあるが、それは発見者である藤村新一元東北旧石器文化研究所副理事(当時)自身が50万年前の地層に自分で埋めたものと判明している。
製鉄についても、今のところ紀元前2100~1950年頃の地層で発見された鉄器が最古の製鉄品ということになっている。楢崎が書写したというカミツ文字も、楢崎のノートの上以外には存在しない。さらにこの文字はイロハ48文字に対応し、数万年も前の、しかも縄文人や弥生人とは別の存在が現代人と同じ子音を用いていたとは考えにくいし、漢字渡来以前の日本の固有文字(神代文字)は存在しなかったというのが現在の国語学界・歴史学界の通説である。
結局のところ、カタカムナ文明と平十字、そしておそらく蘆有三の存在は、楢崎の捜索としか思われない。じっさい楢崎の話には、平安時代の有名な陰陽師である芦屋道満や、人を化かすという狐の足跡しか見つからなかったなど、創作を思わせる小道具がしっかりちりばめられている。 なお、戦後楢崎が推進した植物波農法・人体波健康法の事業はことごとく失敗している。
【参考文献】
ASIOS『謎解き古代文明』彩図社
原田実『日本トンデモ人物伝』文芸社
阿基米得『謎のカタカムナ文明』徳間書店