ウンモ星人

ウンモ星人(The Unmmos)。地球から見て乙女座の方向、約14.4光年の距離にあるイウンマという恒星の惑星ウンモ星から地球にやって来たという宇宙人のこと。

ウンモ星は最大直径7,251.608キロで回転軸は黄道から19度ほど傾斜している。自転周期は32時間。重力は、地球が約9/8m/sであるのに対しウンモ星の重力は11.9m/sだから、20%ほど大きい。地表の38%が陸地で大陸はひとつ、地形は平坦で、地球のような大陸移動はない。

 このような環境に暮らすウンモ星人は、全体として地球の北欧系ヨーロッパ人によく似ており、比較的背が高く、体色は明るく、金髪をしている。ただ、身体の一部に色が変わりやすい部分があるので、裸になると斑紋で地球人と区別できる。嗅覚は地球人よりはるかに鋭く、手の皮膚も敏感で、掌で光を感じることができる。手足の先端は極端に鋭敏で、指や手首に強い衝撃が加わると感覚器官に深刻な衝撃が生じるという。

 16歳になると、たいていのウンモ星人は声帯や甲状腺が退化して声が出なくなるので、その場合人口声帯を植え込んで対応するが、テレパシーによる意思伝達もできる。
 1934年に地球でノルウェー国籍の船舶が発したモールス信号が、14.4年後の1949年にウンモ星でキャッチされたことから、ウンモ星人は男4人、女2人の探検隊を組織した。彼らの宇宙船は14.4光年の距離を6ヶ月ほどで飛び抜け、1950年3月28日、南フランス高地アルプス地方シュヴァル・ブラン山近く、デイニュの町から13キロ、ラ・ジャヴィという名の村から8キロの場所に着陸した。そこで彼らは、地下に作った隠れ家に2年ほど滞在して、地球の文物を研究した。仲間のうち3人はラテン語系言語を研究し、ルーマニア語やスペイン語に加え、カタルニア方言、イタリア語も話すようになった。しかし、その1人の声帯が萎縮したため、他のウンモ星人と交代した。

 その後彼らはマルセイユに一時滞在し、1952年には2人がスペインに到着。他の者は西ドイツやオーストラリア、カナダ、デンマーク、ラテン・アメリカに分散した。
 ウンモ星人を名乗る者たちからの手紙が、スペインのUFO研究家に送られるようになったのは1960年代初頭、一説には1962年とされる。初に受け取ったのは、マドリードのUFO研究家フェルナンド・セスマとも言われ、当初はこのセスマを中心とする、いわゆる「マドリード・グループ」に属するスペイン人たちに手紙が届いたが、やがてスペインだけでなく、エメ・ミシェルのようなフランスのUFO研究家やイギリスのUFO誌にもウンモ星人から手紙が届くようになった。こうした手紙の総数は不明だが、ページ数にすると1万をはるかに越える量が確認されている。

 手紙にはイラストや、彼らの言語が添えられていることもあり、ウンモ星の最先端の宇宙論や宇宙船の推進理論、霊界の真相などの科学理論も多く含まれていた。そしてウンモ星人からの手紙には必ず、漢字の「王」という字を横にしたような、あるいは西洋占星術における天王星のシンボルにも似た図形が記されていた。

 1966年2月6日、マドリード郊外のアルーチェでウンモ星人のマークを付けたUFOが目撃されたことがあり、
 1967年5月には、セスマがウンモ星人のUFO着陸を予告する手紙を受け取って数日後の6月1日、サン・ホセ・ド・ヴァルデラスで、ウンモ・シンボルを胴体下部に記したUFOが目撃された。このときは目撃者のうち2名が写真を撮影している。

【評価】

ウンモ星とウンモ星人に関する情報はすべて、ウンモ星人を名乗る何もかが世界中のUFO研究家に送った手紙によるものである。人については、日本で「ユミット」という呼び名が知られているが、この「ユミット」とは、フランス語で「ウンモ星人」を意味する言葉であり、特定のウンモ星人の名前としては、DEI 98、YU 1、UUOO 120などが報告されている。

 天文学上は、ウンモ星が存在するとされる位置の近くにウォルフ424と呼ぶ天体も確認されており、これがウンモ星人のいうイウンマとも言われる。

 ウンモ星人からの手紙に関し、フランスの科学者ジャン=ピエール・プチなどは、ウンモ星人からの手紙に想を得ていくつもの科学論文を書き、スペインのアントニオ・モヤ・セルパはウンモ語の辞書を作成するなど、手紙の情報を高く評価する者がいる一方、その内容には厳密な論文と呼べるものはなく、宇宙論や推進理論についても、1960年代までに発表された各種の学説やSF小説の域を出ないという指摘もある。

 サン・ホセ・デ・ヴァルデラスのUFO写真については、1977年にフランスのクロード・ポエールが分析を行い、糸で吊された模型を写したものと判明している。アルーチェの事件についても、その日、目撃の時刻に、天文台は何も観測していなかった。さらに1974年、ジャック・ヴァレはエメ・ミシェルらと一緒に、ウンモ星人が着陸したとされる地域を探査したが、地下の隠れ家らしきものはなかった。
 そこで、何者かによる大規模な捏造という意見が有力となっている。

 KGBやCIAといった情報機関が、人々の反応を見るための社会実験として行ったという説もあったが、手紙の大部分がスペイン語で書かれており、受け手もほとんどがスペイン人であることから、スペイン人研究家の誰かが疑わしいと思われた。そこで目を付けられたのが、マドリード・グループの一員であるホセ・ルイス・ホルダン・ペーニャだった。

 ペーニャは通信技師で、技術学校では物理やエレクトロニクスを教えていた。スペイン超心理学会では副会長も務め、人類学や科学、宗教史に関心があった上、外国語にも堪能だった。ある会合でペーニャが描いたイラストは、ウンモ星人の手紙に添えられたものとそっくりだった。さらにペーニャは、アルーチェでウンモ・マークの付いたUFOを目撃したと称する人物の一人でもあった。

 ペーニャは当初、自分がウンモ星人を名乗って手紙を書いたことは否定していた。しかしその後脳出血を患うと、自分がすべてを作り上げたのだと認め、現在ではウンモ事件は彼のねつ造であったというのが定説だ。
 ただ、ウンモ星人の手紙なるものは、アメリカ、ソ連、ドイツ、中国、さらには、入国の難しいサウジアラビアなどさまざまな国から投函されているし、ペーニャが2014年に死亡した後も、出現し続けている。ペーニャ以外にも共犯者や模倣犯が何人もおり、今も活動している可能性が考えられる。
 なお、ボリビアでは「ウンモの娘たち」という宗教団体も設立され、2033年にウンモ星人が侵略すると述べていたが、現状は不明。。

【参考】

ジャン=ピエール・プチ『宇宙人ユミットからの手紙』徳間書店

マルチーヌ・カステロ、イザベル・ブラン、フィリップ・シャンボン『宇宙人ユミットの謎』徳間書店

ジャック・ヴァレー『人はなぜエイリアン神話を求めるのか』徳間書店

桜井慎太郎『図解UFO』新紀元社

http://www.ummo-sciences.org/

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