アグリッパ

ハインリッヒ・コルネリウス・アグリッパ・フォン・ネッテスハイム

Heinrich Cornelius Agrippa von Nettesheim)

1486~1535。ドイツの医者で外交官、軍人。またキリスト教神学者であるが、一般には魔術師、練金術師として知られている。

 ケルンの裕福な家庭に生まれ、ケルン大学で法律、医学、哲学、そして各種外国語を学ぶ。一方で、ピコ・デッラ・ミランドーラ(1463~1494)らの影響を受け、数秘術、カバラ、錬金術にも傾倒する。卒業後は、当時の神聖ローマ帝国皇帝マクシミリアン1世(1459~1519)に仕え、スペインで軍を指揮したこともある。1507年からはフランスのドール大学で聖書学を講義した。しかし聖書の解釈にカバラの手法を用いたことでフランシスコ修道会などの不満を招き、さらにロイヒリン(1455~1522)の『奇跡の言』を擁護したことが原因で1509年に大学を追われる。一時魔術師として知られたヨハンネス・トリテミウス(1462~1516)にも師事し、1515年から1518年までイタリアのパヴィアで神学を講義した。その後フランスのメスで弁護士となるが、メスでは魔女として告発された百姓女を救ったことが原因で、異端審問に関与していたドミニコ修道会といさかいを生じ1520年にメスを離れてケルンに戻る。

 さらに1523年にフライブルクで医者となった後、翌年にはフランスでフランソワ1世の母親の宮廷医師兼占星術師に任命されリヨンに向かう。しかし給料の不払いが原因で1526年リヨンを離れ、カール5世の記録係となるが、著書『学問と芸術の不確かさと虚しさについて』の内容が原因で投獄される。一時サボワ公爵夫人マルグリットの侍医も務めるが1530年、マルグリットが死亡するとケルン、ボンと旅し、最後はフランスのグルノーブルで死亡した。

 彼の名を魔術師として歴史にとどめているのが、代表作『オカルト哲学(De Occulta Philosophia)』で、1510年頃から執筆されたと言われる。

 本書は師であるトリテミウスに献辞されたもので、当時の魔術的知識を集大成した百科全書的な内容となっている。

 後世魔術師として知られるようになると、当然ながら彼にまつわる魔術的伝説がいくつも誕生した。

 もっとも有名なものは、彼がいつも、黒い犬の姿の「ムッシュー」という名の使い魔を連れていたというものだろう。死の床のアグリッパがすべての魔術を捨て、ムッシューに「去れ、お前が破滅の原因だ」と命じると、犬はサオム川に飛び込んだという。

 もう一つの伝説として、アグリッパの仕事部屋に侵入した学生に関するものがある。この学生は、アグリッパの留守中、その妻に強要して仕事部屋に入り、テーブルの魔法書の呪文で悪魔を呼び出した。悪魔は絞め殺したため、帰宅したアグリッパは殺人罪の嫌疑を恐れ、同じ悪魔を呼び出して短時間学生を生き返らせた。学生はそのまま広場に出かけ、人々の前で死んだが、死因が絞殺とわかりアグリッパは逃亡した。

 他にも、さまよえるユダヤ人のために、彼の恋人を魔法の水鏡に映してみせた、という伝説もある。

中世ヨーロッパの魔術理論、特にキリスト教カバラとカバラによる召喚の体系をさかのぼると、まずピコ・デッラ・ミランドーラが師マルシリオ・フィチーノの新プラトン主義とユダヤ教のカバラを結びつけ、さらにロイヒリンがカバラによる天使の召喚という概念を普及させた。

 ピコが学んだルーリア系統のカバラは、本来神による世界の創造から秩序の破壊、そして魔術的方法による秩序の回復に至る一種の黙示的世界観を示すものであったから、召喚という観念が導入されたのはおそらく新プラトン主義の影響と推定されるが、この点についてはさらなる検証が必要であろう。

 いずれにせよカバラと召喚が結びついた結果、カバラが召喚魔術そのもののように思われる誤解の種がまかれることとなった。

 また、ピコやロイヒリンらにとっては、自分たちの試みは、ユダヤ教や古代ギリシャ思想とキリスト教神学を結びつける斬新なものであったかもしれないが、当時のローマ・カトリック教会からは、当然ながら異端思想とみなされた。

 つまりアグリッパもこのような異端思想に連なってしまい、各地でドミニコ修道会やフランシスコ修道会といった、体制側の宗教エスタブリッシュメントとぶつかることになった。

 もちろん彼自身の性格も一因とは思われるが、8カ国語を操り、医者としての腕も確かで、外交官や軍人としても才能を発揮した人物が時代の波のなかで不遇な人生を送った典型例とも言えよう。また、歴史上「魔術師」、つまりどちらかと言えばダークサイドに分類されるアグリッパが、魔女として告発された百姓女を救った事実は、ドミニコ修道会やフランシスコ修道会など、清貧の代表のように思われる団体が異端審問を率先して行っていた事実とともに歴史上の教訓としてとどめられるべきであろう。

 アグリッパの代表作『オカルト哲学』は、当時の魔術体系の集大成とも言うべき内容であり、「自然魔術」、「数秘術」「典礼魔術」の三部構成になっているが、自然魔術は、この世界のあらゆる事物の間に存在する魔術的な関係を、数秘術は数の神秘的意味を、典礼魔術はカバラ的な知識を利用して自然環境を自分の望む方向に動かそうとするものである。

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